信用組合は日本のみならず世界中で数多く設立されて、それぞれの地域やコミュニティの経済発展に貢献しています。
そんな信用組合がどのような生い立ちから現在の役割を果たしているのかご存じでしょうか?
本記事では、信用組合の歴史を世界と日本それぞれの視点から紹介していきます。
信用組合の歴史を紐解くと、始まりは19世紀の産業革命時代まで遡ります。
イギリスでは従来の手工業に替わる新しい機械が次々と開発されて綿製品などの生産性が劇的に向上しました。
資本家はますます利潤を追求して、工場で機械を操作する労働者たちは僅かな賃金で劣悪な環境のなか長時間労働を強いられた結果、貧富の差が拡大しました。
そこで織物工などの労働者はコミュニティ内で組合を設立してお金を出し合い、仕入れてきた食料や雑貨などを組合員の間で売買する仕組みを構築したのです。
この組合が掲げていた「全員が投票権を持つ」「剰余金の分配を定める」という2つの理念は、同じく産業革命に伴う貧富の差が社会問題化していたドイツにも伝わりました
当時のドイツでは、銀行は資本家など富裕層のみを対象に金融サービスを提供していたため、労働者など貧困層は十分な融資を受けることができませんでした。
そこで労働者同士がお互いに助け合うためにお金を出し合い、世界初の信用組合を設立。
当時ドイツの小さな町で市長を務め、高利貸しに対抗する信用組合設立を指導したライファイゼンが呼びかけた「一人は万人のために、万人は一人のために」は、現在も信用組合の基本理念である相互扶助の考え方を表す言葉として有名です。
日本における信用組合の源流は、鎌倉時代に貧困層のあいだで米や金銭を持ち寄って無利息・無担保で融通し合う組織として生まれた無尽講・頼母子講と言われています。
その後江戸時代に入ると農民や小商人を対象とした相互金融や共済的な金融が行われ、江戸時代後期には飢饉に苦しむ農民が互いに助け合って、不測の事態に備えるための先祖株組合や五常講など協同組合の原型となる組織が誕生。
明治時代になると近代的金融制度が整備され、1900年に信用組合の発祥となる「産業組合法」が制定。
農民や商工業者に対しても金融サービスが提供されるようになりました。
しかし、都市部の商工業者など銀行の金融サービスを十分に受けられない層が存在したことを受けて、大正6年に産業組合法の改正により市街地信用組合を設立。
昭和18年には単独法の「市街地信用組合法」が制定されました。
昭和24年には中小企業の組織化のために施行された「中小企業等協同組合法(中企法)」によって、産業組合法と市街地信用組合法によって分断されていた信用組合制度が一つに統合されることになります。
そして同年に現在の信用組合の基となる「協同組合による金融事業に関する法律(協金法)」が施行され、信用組合および信用協同組合連合会の監督法規として、協同組織による金融の基本的あり方が明確化されました。
本記事では、世界と日本でどのように信用組合という協同組合組織が誕生したのか、その生い立ちを紹介しました。
それぞれの時代で組合の形は異なりますが、困難に直面している人同士がお互いに手を取り助け合う相互扶助の考え方が根本に存在しました。
歴史を紐解くことで、現代の信用組合の役割や存在意義について改めて深く理解できたのではないでしょうか。